常住坐臥黴蒲団

fungiに詳しい訳ではありません.

本日の本1 結城浩『数学ガール ゲーデルの不完全性定理』―数学ガールを小説の棚に置くこと

   三度目の挑戦だった。読破には成功したが、またしても惨敗。

 『数学ガール』の何がいいかと聞かれたら、数学について妥協をしていない(多分)ところだ。どこぞの『数式を使わない~』とは次元が違う。本文中にはずらりと数式が並び、理解できない読者はおいてけぼりを喰ってしまう。特に物語の中盤を超えると、僕も含めた文系諸君及び数学科以外の理系諸君(この巻に関しては、文学部哲学科にも分かる人がいるだろうが)の聞いたこともないような抽象概念がドハッと繰り出され、僕らはぐはっとすっかり玉砕してしまうのだ。なのに、それに快感、興奮してしまう自分がいる。お前はマゾか、と言われそうだが、違う(多分)。

 『数学ガール』は数学読み物とされるけど、僕はその考えに反対で、「『数学ガール』は小説だ」と言いたい。分からないのに快感を感じてしまうところが、やはり小説だ。小説としか言いようがない。それもよくできた小説。ただに自分の分からないことを言い立てられて、それを無批判に「自分の理解を越えた凄いものなんだ」と畏敬の眼差しでもって受け入れ、威を借る、そういう快感じゃなくて、僕にとって意味不明な数式からも、丁寧に追えば登場人物の心情が読める(ような気がする)ところに、驚きがあって、興奮して、気持ちがいい、嬉しい。数式という道具で会話する。それでしか言えないことがあるから。僕はこの作品が数学に妥協しないのは、数式がこの小説において、漫画における絵のように必要不可欠だからだと思う。

 そこで私は本作を初めとした『数学ガール』シリーズを、小説の棚に置くことを求めます。以降、図書館・書店等の皆様は、数学の棚からこれを引っこ抜き、場合によっては請求記号を変えて、小説の棚に入れるようお願いいたします。

 とかなんとか考えながら、読み終えたが、冒頭にもある通り、不完全性定理の理解は不完全にとどまりまった。やっぱり、むつかしいよ。これは本腰を入れて、論理学の勉強せねば。